【'11桜と城と①】桜舞う小田原城と城下町

今日は私が旅歩きのきっかけとなった場所へ
お花見を兼ねて遊びに行きました。
そこは神奈川県西部の城下町・小田原です。
私が小さい頃、よく列車が通るたびに手を振っていたそうです。
そこでもう他界した父が私を連れて
特急踊り子号に乗せて小田原へ行き、小田原城を
見に行ったのが私の旅始めでした。
そんな事を思い出し、ふらっと出かける事にしました。

横浜から東海道線の≪快速アクティー≫で座って
小田原へ向かいます。
4月とは思えないポカポカ陽気。。というか暑い。
日差しが強かったですね。
小田原駅に到着し、ここから小田原城を目指して歩きました。

駅から歩いて10分しないうちに小田原城へ到着できます。
ここで桜とお城のコラボレーションを
写真に収めましたのでご覧ください。
桜の向こうに小田原城です。
★①桜とお城の写真

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★②桜と小田原城のお堀の写真
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★③桜と小田原城のアップです。
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★④お堀の桜も撮ってみました。
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小田原城が初めて築かれたのは、
大森氏が小田原地方に進出した15世紀中ごろのことと考えられています。
戦国大名小田原北条氏の居城となってから、
関東支配の中心拠点として次第に拡張整備され、
豊臣秀吉の来攻に備えて城下を囲む総構を
完成させると城の規模は最大に達し、
日本最大の中世城郭に発展しました。

江戸時代を迎えると小田原城は徳川家康の支配するところとなり、
その家臣大久保氏を城主として迎え、
城の規模は三の丸以内に縮小されました。
稲葉氏が城主となってから大規模な改修工事が始められ、
近世城郭として生まれ変わりました。その後、
1686年、再び大久保氏が10万3000石で入封した。
それから漸次加増をうけ、最終的に11万3000石となる。
以後は幕末・明治初頭まで大久保氏の支配が10代続いた。
箱根を控えた関東地方防御の要衝として、
また幕藩体制を支える譜代大名の居城として、
幕末まで重要な役割を担ってきました。

しかし、小田原城は明治3年に廃城となり、
ほとんどの建物は解体され、残っていた石垣も
大正12年(1923)の関東大震災によりことごとく崩れ落ちてしまいました。

現在の小田原城跡は、本丸・二の丸の大部分と総構の一部が、
国の史跡に指定されています。また、本丸を中心に
「城址公園」として整備され、昭和35年(1960)に天守閣が復興、
次いで昭和46年(1971)には常盤木門、平成9年(1997)には銅門、
平成21年(2009)には馬出門が復元されました。
さらに小田原市では、貴重な文化的遺産である
小田原城跡をより一層親しんでいくとともに、
長く後世に伝えていくことを目的として、
本格的な史跡整備に取り組んでいます。
平成18年10月に、「日本の歴史公園100選」に選ばれました。

さて歴史の勉強はここまでにして、
小田原城を後にして箱根湯本へ向かいます。
次回へ続きます。


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